SNSに考えを投下する事について

SNSに思考を投下する事は良くない

人に見られ、「良いね」と押される事で自分の中に満足感が生まれるから。

浅い思考、拙い思考に対して承認されてしまえば最後、自分の中には何も残らない。

現実錯誤の自我肥大を招くのみだ。

 

浅いチャット的会話の中で、思考の深耕は望めない。

何かの気付きを得る機会くらいにはなるかもしれないが、それはまた別の話。

最近認識しつつあること

✓自然と生じる思考から良いアイデアは生まれない

 良いアイデアが自然と生まれる事はない。

 多少なりとも成功した企画の開発プロセスは常に、思いつく迄に時間をかけた。有力そうに思える案を自らボツにした。ヒントになるような記憶をたぐり、情報を集め、組み合わせの妙を探したり、試案の実行を想像実験して細部を何度も作り直した。

 知識、経験、記憶、感覚、理論など、あらゆる資源を動員して試案を作り、論理的に、想像体験的に、実際的に、実験と破棄/再作成を繰り返す事で「優れた案」は生み出せると感じる。

 

 即ち「理想」も自然とは生まれない。

 理想は徹底した現実直視から生まれるのではないか。

 脳を駆使しなければ現実直視は叶わない。

 

 

✓頭の努力は目に見えないから、みな努力をサボるとも思わず努力をサボる。

 たくさん思いつく人は、それだけの頭の努力をしてきた人。

 だけど、その事は本人にも自覚されづらい。

 だから、「良い案が浮かばないのは努力不足だ」と思えない。

考えた事

✓自分という人間像
 ①私という人間は、友人を喜ばせる為にサプライズ企画を考えたりプレゼントを考えたりする事が、大好きなのだと知った。意外だ。だが、振り返ってみれば、ずっとそうだったのかもしれない。だが開花したのは最近の事の筈だから、もう少し詳しく自己分析を加えたい。

 ②友人を喜ばせる為のサプライズ企画について、「こんな企画なら良いですよ」という答えは存在しない。自分が魅力的に思えるコトを、確信めいた感覚と共に、その都度考え出している。これは、私がここ数日「大変むずかしい」と感じていた、自分が挺身する崇高な目標を見出す事と、ひょっとして同じ事ではないだろうか。

 ③一方で、自分の中には、他者への不信と強い利己欲がある。仕事の中でより強められた感があるが、「他人は信頼せずに出し抜け」という類の感覚だ。だが自分が能力を最大限に発揮できるのは、信頼できる友人と共に、善意・無邪気の野心を実現せしめようとしている時だ。

 ④「他人を出し抜く」類の悪意または自己中心性は武器になる。一方で、弊害も沢山生じている。

 

✓抽象化のベース
 ①異なる呼ばれ方をするAとBについて、実は同じものである事または実は同じ要素を含む事に気づく事

 ②①は、自分の思考に対する注意(=mindfulness)が働いている時に生じやすい。

PDCAとマインドフルネスの関係性
 ①PDCAが必要と言われる事の原因は、実行/学習/改善サイクルを継続蓄積する事の難しさだと思う。難しさの原因は、意識と俯瞰意識の並行処理が拙い事。

 ②「KPI」と「情動ラベリング」は同じ発想から生まれていると思う。同じ発想とは、扱いたい要素を明瞭化し、意識の焦点を当てやすくする、という事。

 

✓コンビニとスマホ
 人の注意を惹き付け、動物化させるように働くという意味で同じ仕組みを持っている。